感動した手紙2008 −テレキャスターと僕とお前はSTAY GOLD−

shuntastic2008-01-10


単なる一般人の長編自伝。


僕は今年の年賀状を、たまたま住所がわかるごく一部の人々宛にだした。今年から、本当はたくさんの人たちに出したかったが急に住所が集められるわけもなく、まあ手元でわかる範囲で、と適当に。


その中で唯一1人だけ、住所を他人から聞きだしてまで送った友人がいる。
彼は、自宅にネット環境がない、と返事のはがきがきた。実は、彼の電話番号もメアドも今となっては全然分からない。だから、彼にネット環境がなくこれを読むことも、僕が書いていることも知る由もないだろう。でも、彼に向けて書いてみる。


彼とは、もう彼此6〜7年会っていないし、連絡もとったことはない。それまでは、毎日のように会っていたんだけどね。半同棲のような時期も短くなかったぐらいだ。大学4年間でどれだけ彼と過ごしただろう。


その昔、彼(dr.)と僕(G.)は18の頃から大学を卒業する頃まで4人のバンドをやっていた。
僕が作って僕が独裁政治を敷く(笑)バンドだったんだけど、IGGY POPDavid Bowieにあやかったバンド名をつけた。我ながら良いバンドだったと思うし、それなりに評価をもらっていたと思う。そして、彼は素晴らしいドラマーだった。今でも目に浮かぶぐらい、勇ましくもしなやかなドラムスタイルで、スカウトした僕の審美眼も間違いなかったと、当時密かにほくそえんでいた。


がしかし!僕が若さゆえに"色恋"をバンド内に持ち込んでしまい、色恋沙汰の煽りをくらってバンドはある日から突如無期限停止。
素晴らしいバンドメンバーだったし、愛着がありすぎたからこのまま終わるのは忍びないと考えて、1つだけ厳格な条項を設けて、再出発をきめたリーダーの僕は、

「今日からバンド復活!ただ、俺が言うのもアレなハナシなんだが、金輪際、オンナ問題をバンド内に持ち込まないこと!これは絶対!破ったら本気で解散ね。」

と提唱した。
なぜなら、そのバンドが好きで、バンドメンバーが好きで、おじさんになってもこいつらとビートルズなんかカバーしてビールでも呑みたいと本気で思ってたからだ。色恋問題みたいな一時期の若気の至りなんかで、この大好きな全てがめちゃくちゃになるのはイヤすぎた。
きっとバンドをやったことのある諸兄なら共感してもらえると思う。たかが色恋、されど色恋。カネ問題と色恋はバンドを完膚なきまでにめちゃくちゃにする。


そしたら、本当にめちゃくちゃになった。
というか、完全にキレた。僕が。
彼は、新しくバンドに入れたVo.A子(仮)と、まあアレな感じに。


最後のライヴは学祭。最後が学祭。バンドマン諸兄なら特にお分かりと思うが、最後が学祭はいかにもしょぼい。しかも、キレている僕は、A子を解雇。これまでずっと4人体制を崩さなかったのに、突如3人バンドで出演した。
その時はいちいち解散というコトを外にもメンバーにも言わず、僕の中で「コレで最後」と勝手に決めていた。ライヴ終わって、打ち上げとかも特にせず、そのまま僕ら4人は二度と会うことは自然となくなった。僕らはその後、一度も音を合わせないまま、今に至る。


1998年、僕が大学に入ってすぐ、はじめてのアルバイト代で、はじめて全額自分のカネを使ってギターを買いに行ったのが彼とだ。彼と選んでフェンダージャパンの黒のテレキャスターを買った。それ以降、何本かギターを買ったんだけど、現在まで自宅にあるのはその1本だけ。そして、その1本のテレキャスターは今年2008年でちょうど10歳を迎える。同時に故郷を離れて10年でもある。
そんな意味もあって、今年はそのギターとともに自分が写った写真をデザインした年賀状をイラストレーターで作った。

そして彼の現住所を探し当て、何の前触れもなく突然年賀状を彼宛に投函。


「10歳になったぜ!」


と書いて、数年ぶりの唐突な年賀に驚いたり面白がってくれればいいな、と思い。非常に勝手な独裁リーダーっぷりは健在でした(笑)

そしたら、それを見た彼が返事の年賀状をくれた。

お年賀ありがとう。素直に嬉しかった。
離れてから何年か、言葉には出来ない程 様々なことがあった。
今はshuntasticと一緒にいた時代をひきずって、何とか頑張っています。
ケッコンもする。
時間を作ってゆっくり話そう。

彼の結婚相手は、あの当時のコだった。

shuntastic、久しぶり(はーと) A子

同じ年賀状に書いてあった(笑)
お前らまだ・・・・付き合ってたのか!!すごいぞ!
リーダー感動しちゃったぞ。というか、彼の文章の端々からやさしすぎる彼の色々な汁が溢れ出ていてキュン死にしそうだ。しかも、あの一緒に弾けまくってた時代を大切にひきずっていてくれて、本当にありがとう!


僕らが最後にやった3人のバンドでは、ヘンなプライドが邪魔してやりたくでもできなかったコピーバンドで出演した。大学生活もこれで終了だし、つまり、これから社会に出るって事は、アレだ、中高から続いた長い青春もこれを以って終わりなんだよなあ、と思って、「んじゃあ、ヘンにかっこつけずに最後なんだから、俺の青春を体現したバンドでもやっか!」と、これまた勝手に自分の青春の区切りとしてHi-STANDARDの完コピバンドに仕上げて出演した。


当時の音楽事情、アマバンド業界事情を思い出して分かる人は分かると思うけど、当時、Hi-STANDARDをやるってのは、「俺は他人とは違う!」と自意識過剰なバンドマンたちにはある意味、非常に勇気のいることだったのだ・・・・・。1stシングルからのリスナーだったとしてもね...
だけどその時僕らは、Hi-STANDARDの昔の曲ではなく、一番売れた、あのオリコンにさえ入ったインディーズ盤「MAKING THE ROAD」から敢えてほとんど選曲した。

メイキング・ザ・ロード

メイキング・ザ・ロード

やっぱ重要なのは、どれだけキラキラでいられるかってことかなってことなんだな。
社会に入ったからといって、たまに自分の無力さに打ちひしがれたからといって、
歳を取ったからといって、どれだけキラキラした新鮮な気持ちでいられるか、ってことだと思う。
それが今年、僕にとってメモリアルイヤーの2008なのだ。


ま、その後、僕は卒業しても就職せず、第二の青春、大学院時代に突入したわけであるが(笑)
そんなワケで、僕はこれからも、この黒いテレキャスターを抱えて、原点を見失わず牛歩のように歩んで生きたいと思います。


しかし連絡手段がない以上、このweb2.0(笑)時代に、僕は彼と文通しなきゃいかんのか....
早くネットぐらい繋げ、この野郎!


そして、お前らの結婚式を機にまた、バンドやろうぜ!



あ、そーいやベースの彼もどこで何やってんだか知らないなあ。

I won't forget
オレは忘れない
when you said to me "stay gold"
お前が「いつまでも金ぴかのままで」って言ったこと
I won't forge
忘れないよ
always in my heart "stay gold"
いつも心の中に「ステイゴールド


STAY GOLD/Hi-STANDARD


30-35 vol.4 「続・もう一回バンドやろうぜ ! 」

30-35 vol.4 「続・もう一回バンドやろうぜ ! 」