自分探しが止まらない お説ごもっともでございます

shuntastic2008-02-21



「自分探しが止まらない/速水 健朗(ソフトバンクパブリッシング)」を読んだ。


端的に著者の首尾一貫した主張を言うと、こうだ。

・自分探しに勤しむのは、団塊ジュニア(ロストジェネレーション)
・自分探しは、誰かの食い物にされてるよ
・海外をバックパック旅行して自分探し?どんなオナニーだよ、笑わせんなバカ。


お説ごもっともです、と思いました。
この本、大変面白いです。


というのは、史上稀に見る恵まれない時代を生きている我々ロストジェネレーション世代には、ドンピシャの意見が書かれている本だと思う。
逆に、僕らより上の世代、いわゆるバブル世代にとってみれば本書は腑に落ちない点がいくつもあるだろう。
また、我々より下の世代、2005年以降に大学を卒業した世代にとっても、なにやらよくわからん先輩達の考え方、に映るだろう。


僕らロストジェネレーション世代は、思春期でふと自我が芽生えた時は既にバブルが崩壊して久しく、空は常に曇り空か雨雲だった。
22歳を迎え、さあモラトリアムを経て社会に出ようというとき、外は史上稀に見る土砂降りだった。
僕たちは、妥協を余儀なくされて就職した。


希望は自ら切り開くしかない、逆に言うと、何にも期待しない。頼れるのは自分だけ、と言い聞かせたわけだ。
だから僕らの世代にとっては、ベンチャー企業への就職は持て囃されたし、果敢なるチャレンジャーとしてある意味羨望の的でもあった。
また、社会に見切りをつけ、バックパックで世界を見て周り、本当に自らが信ずるべき"何か"を見つけようと旅する非社会人も、勇敢な選択枝として憧れの対象だった。起業にしてもそうだろう。


でもこれらは、自ら選んだように見えて、実は選択肢が狭まった上で余儀なくされた選択を掴まされた、そういった現状があったことは僕らも薄々気付いている。
でも僕らは、そんなことを認めると自我が崩壊しそうだから、「自ら切り開いた」と強く思って、疑心暗鬼を消そうと躍起になっている世代だと思う。
なぜなら、我々より下の世代、今の就職戦線異常なしな状況にある学生のマインドを見れば火を見るより明らかだ。


本書では、あいのりや元サッカー選手の中田、PRIDEの須藤元気サンクチュアリ出版、沖縄、インド、ロハス、環境貢献などの具体的事例を以って、自分の中に潜在的に存在する(ハズと信じて止まない)"本当の自分探し"という名の欺瞞に満ちた我々世代を斬る。
それはとりもなおさず、著者の世代、著者自身を斬ることに他ならない。
超ドMな本だといえる。


確かに、我々より上の世代、下の世代から見れば、かなり特異な例を辿っている世代だ。
ニートもフリーターも多い。しかもそれが悪いとも思われていなかった。


僕自身も含め、多くの人間が、不本意な就職を余儀なくされた。
そこから、ペシミズムで達観した哲学も生まれることは想像に難くない。
高望みしない代わりに、ある程度は保証されたい。


その一方で、いわゆる「ポジティブ教」というものが蔓延しているのも我々の世代特有のものだ。
ポジティブ教とは「『本当の自分には何だってできる」、『自分が変われば、世界が変わる』みたいな呪術的思考」を指す。
頭の中はフラワーである。
梅田望夫教なんかもそうだろう。


この呪術にかかると、ポジティブに考えることが最優先になり、周りが見えなくなる。
ナントカなる!頑張れば、自分が変わればとポジティブに考えることが目的になるわけだが、傍から見ると非常に滑稽なのに、当の本人達はまったく気付かない状態になるわけだ。


でも、我々の時代は、ポジティブに考えないと躁鬱になる時代を生きてきたのでそれはいたしかたない部分もないとは言えない。ただ社会人になってもそれを言っているようでは問題だが。



我々ロストジェネレーションは、時代のツケを喰らった。労働市場が最悪すぎた。
でもそれをあーだこーだ言っても仕方ないわけだが、かといってポジティブ教に逃げるようであれば、それは単なる思考停止でしかない。


本書は、そういったことに警鐘を鳴らすものだ。
僕らにはよくわかる。
分からない世代には、「何アホなこと言ってるんだ」という内容だから、相対的に見ると賛否両論の作品だろう。


僕は本書を支持するし、まだまだ自分探しに勤しんでいる僕らを叱咤激励し、最大の希望を抱いているからこその叱咤だと理解した。


世代論のサーベイ論文としても非常に秀逸だ。
18959

自分探しが止まらない (SB新書)

自分探しが止まらない (SB新書)